隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

黒人、白人、黄色人種・・・人種って何?

 

「黒人女性です」の大坂なおみさんのひとことに揺さぶられた。

 

人種ってどこから来てるんだ?と自問自答した。

見た目?体質の違い?気質の違い?

つまり、体と考え方の傾向に関係している違いを種類分けしたのが人種?

 

で、さらに問いは続く。

その違い、その種類分けが何をもたらすの?

違いは違いであって、上下をつけるものではない。

優れた部分は素直に称賛し、自分にないことにはうらやましさを持ちつつ

だからこそ、自分の中にあるはずの優れた部分を必死で探す。

で、見つける。

そして嬉しくなる。

そしてまた、他の人種ならではの優れた点を素直に眺められる。

これで、いいことサイクルになるんじゃない?

 

人種の違いを淡々と話すことには、なんら害はない。

 

でも、この優れた点っていうのも、何を基準に優れたと判断するかが問題。

たとえば、おおざっぱとおおらかのように

見方によって言い換えができる気質などは優劣なんてきっとつけられない。

やっぱり違いは違い、それだけなんだなぁ。

 

国ごとに、これまでの歴史の中で優勢な人種が存在していて

今、それがおびやかされる不安からの過剰反応だったりするのかなとも思う。

これはアメリカに限らないけど。

 

違いは違いであって

細かいこと一つ一つのことに対して優劣がつくかもしれないけど

トータルしたら優劣なし!

したがって公の場での差別はなし!でいいんじゃないかな。

 

個人個人の好き嫌い、合う合わないは、この際は別問題。

公私混同はいけないし、私的なお好みもないがしろにしてはいけないと思う。