隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

Twitterでの議論は楽しくない

 

Twitterに相変わらずハマっています。

共感するコメントにはいいね!を押し

なるほどと思わせてもらったときにはコメントを残したりしています。

逆に共感できないときやちょっとおかしいんじゃない?というときにもコメント。

自分の中ではおしゃべり感覚で書いていて

相手のコメントもおしゃべりの延長なんだろうと思い込むことにしています。

  

自分とは違う考え方を知り、感心することもしばしば。

そこってそんなに強くこだわって主張するところ?とびっくりすることもしばしば。

 

声が大きい人、強く言い切る人がいれば、その人に盲従する人がいる。

盲人が突然目が見えた感激と同じで嬉しくなって、ついていきたくなるのかなぁ。

 

時に厳しい議論に発展することも。

見守って、眺めているだけでもドキドキする。

いや、うそ。

おもしろがっている。

 

違いは違い、差ではないと理解して、熱くなりすぎないでいられないものかと思う。

若いなあとも思ったりする。

 

限られた字数で議論など不可能、おしゃべり程度がせいぜいだから

議論になりかけたらさっさとひく。

相手も議論すること望んでいないでしょと思い込むことにする。

 

議論は言葉だけでするものじゃないと思うんですよ。

相手の顔を見て、にやっと笑い合ったり、押したり引いたりがおもしろいのに。

そんな楽しみのない議論なんて、得るものがあまりないと思う。

 

勝ち負けがつくだけ。

その勝ち負けも時代が変われば答えも変わる。

う~ん、やっぱりあまり意味がない。

 

とにかくTwitterはおしゃべりにとどめておくに限ると肝に銘じておこう。

おしゃべりを商売につなげようとするのもまぁありか。

実際の生活でもそういう人いるものね。