隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

自然にそうなるのは当たり前

  

日本人どうしの会話は、相槌が不可欠です。

「うんうん」「そうそう」またはただうなずくなど。

聞いているよ、賛成しているよ、を表すためにするべきことです。

うなずきもなく、黙って相手の目を見つめる。

これはかえって失礼にもなります。

 

昔、外国に長い間住んでいたときのことです。

日本ではその当時有名だった脚本家の方にお会いする機会がありました。

 私は真剣に集中して、ときに共感もし聞いていたのですが

話の最後に「聞く態度が失礼だ」と叱られました。

もっとにこやかに、相槌を打ちながら聞く必要があったようです。

 

いつのまにか日本人らしい正しい話の聞き方を失ってしまっていた。

そのことに気づかされ、ショックを受け、若かった私はすぐに謝りました。

しかしそれでよかったのか?

若くない今の私の中でははてなマークが浮かびます。

 

これと同じことが、日本に住む外国人にも起こります。

日本に住んで30年にもなる私の夫は

相槌を自然に打ってしまうようになっています。

で、同じ国の人と話すときには思い切り笑われています。

ときには「黙っとけ!」「うっとうしい」とまで言われています。

 

 それに対しての夫の返しは「耳ふさいどけ」「うっとうしいなら見るな」です。

自然にそうなるのは当たり前、という開き直りです。

さすが〇〇人!こういう返しの早さは世界一??

夫も若くないですからね。

若い時の私のようにショックを受けたり謝ったりなんてしません。

 

違いは違いであって、どちらが正しいということはない。

人と人が付き合う中でまわりの人に影響されるのは当然のこと。

むしろそれだけ日本社会になじもうと心を寄せ続けてきたという証かも。

 

妻としてはありがたいこと・・・かな。

夫にとってのマイルールを主張されたら板挟みになってしんどすぎたでしょうから。

日本社会との摩擦少なめで生きてこられた理由はここかも。