隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

日本にいながらお得に海外生活

 

日本人の、特に若者たちがきっと自分たちより劣っていると見がちな国。

そういった国の若者たちが話し合いをする場面に遭遇しました。

母国語で話し合っていたので、何を話しているのかはわかりませんでしたが

誰もが生き生きと若さを爆発させていました。

かっこよかったです。

真剣に熱くなっている姿がかっこ悪いはずはありません。

 

だれに遠慮することなく意見を言い

それに対しまるで怒っているかのような表情で真剣に意見を返し

途中、皆で笑うような冗談もまじえながら進んでいく様子に

私は少なからずショックを受けました。

自分が学生だったときに

そんなふうに熱く、楽しく、スピーディーに進む話し合いに参加した経験は

残念ながらありません。

  

熱さが足りない、スピードが足りない、おもしろくない。

これが日本人がする話し合いのイメージ。

早くから老成しているかのようです。

 

いつでも楽しい雰囲気を作ろうとする彼らは

ときにふざけているようにも見えます。

幼いとさえ見えます。

しかし、こんなにも話し合いがうまくできる人たちだった!

 

ふざけがち=子供っぽい、と思い込んでいたのは間違いだった?

ふざけがちのように見える楽しさをもって進んでいくのが彼らのやり方?

生きた時間、楽しい時間を積み重ねていく彼らの方が幸せ?

 

たくさんの?が頭に浮かぶとき、私の心は少し疲れます。

異文化に接した刺激が大きすぎるのでしょう。

それでも負けてはいられません。

自分の日本人らしさをなくすことなどできないのですから。

(多少は変えられても無理は無理、と悟りました)

 

私の強みは何?

それを思う存分発揮する機会はどこにある?

どうやってその機会を作ったらいい?

どうやってそれをアピールしたらいい?

 

これらの問いってまるでシューカツのときのようです。

海外生活をすれば、否応なくその機会は訪れます。

自分の位置を確保するために必要な、日本人である自分への自問自答。

  

これをせずして、海外に出ることなく

慣れ親しんだ自国のルールに守られ優位に立っているのは

シューカツ前の学生と同じ。

国際社会の中では決して一人前ではありません。

自国と日本と二つの国を経験している若者からは、その未熟さを笑われているかも。

 

必要や興味がなければ、外国に出なくてもいい。

でも、自分の立ち位置が決して本当の優位ではないことを理解したうえで

外国人と接すれば

日本にいながらにして、外国に住んでいるときと同じ体験ができます。

安上がり、です!