隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

oto、kanshoku、だいじ

 

久しぶりに友達に手紙を書きました。

量を書きがちの私はいつもエアメール用(今もある?)便箋を使っていました。

 

ペンが便箋に当たる小さな衝撃。

前に書かれた文字をなんとはなしに眺めながら書き進めていく感じ。

感覚が総動員されていると感じます。

 

いつもの通りあっという間に便箋3枚。

今回は普通の厚さの便箋を使ったのでこのへんにしておきましょう。

あとは切手を貼って、ポストに出す。

 

そんなひと手間がいいか悪いかは今さら言わないけど

スピードや便利さが一番ではないと感じました。

 

感覚を鈍らせないこと。

ココロ動かすこと。

それが「生」の実感だから、だいじにしたいと思いました。

 

仕事は効率よく、スピーディーに進めたい。

確かに。

瞬時に返ってくる返信は確かに心地いいです。

 

でもね、人間ってそんなにスピーディーに生きるのが似合う生き物だっけ?

 

・・・ふと、一生に打つ鼓動の数は動物みな同じという言葉を思い出しました。