隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

聴覚だけで大学院まで!

 

はっきり見ることも、話すことも難しい、聴覚だけが頼りの人が博士号。

この人は天畠大輔氏です。

彼の書いた文章の中で心に響いた部分を少しご紹介します。

 

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  伝えたい気持ちとわかりたいという気持ちがうまくかみ合った瞬間は

とても心地良いものです。

 

私は四年間の大学生活で、たとえ言葉の数が少なくても

人はお互いのことをわかり合える経験を数多くしてきました。

 

相手のことをわかりたいという気持ちさえあれば

言葉の数が少なくても(たとえ言葉を持たなくても)

人と人は、通じ合えると私は思います。

 

大学生活で多くの仲間とそんな心のやり取りができたことは

私にとってかけがえのない経験となりました。

それは、私だけではなく

きっと相手にも同じことが言えるのではないかと思っています。

 

参照:https://www.npwo.or.jp/arc/50stories/0006/pdf/06_TenbataDaisuke.pdf

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コミュニケーションの基本は、伝えたい、わかりたいという双方の気持ち。

技術とかうまい下手とかではなく、心のやり取りがコミュニケーション。

頭ガツンとやられました。

 

日本語教師はつい言葉の使い方の間違いにうるさくなるという職業病があります。

外国人には優しくできても

間違った日本語、わかりにくい日本語を使う日本人に厳しかったりということも。

 

そんなことは関係なかった。

技巧だけにうるさいのはまさに「病」なのだと思っておくこと。