隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

ラマダン、非日常、そしてROCK YOU

 

ラマダン月はお恵みの時期。

いつも通りのことをしただけでもいつもの何倍ものごほうびが来るとき。

ムスリムイスラム教徒)たちの間ではラマダンはそんなイメージですが

それよりも話題に上るのはやはり断食のことだろう。

 

日の出から日の入りまでいっさいの飲食を断つ。

食はさておき飲はきつい。

おまけに日の出の1時間40分前までに朝ごはんを軽く食べないといけない。

夏の時期は、断食時間が長いだけでなく

この朝ごはんの時間がとんでもなく中途半端なために体調を崩しやすい。

イスラムの国でない日本では

そういったことからくる不調への優しい見守りや理解、気持ちの共有は期待できず

ラマダンの期間だけは別の国で住みたいと思ったりする。

 

それでもどうにかやってみれば、楽しいことはある。

毎回ラマダン期間には何かと気がつくことがあり

いつも今年はどんな気づきがくるかなぁとちょっとわくわく。

昨日ふと心に入ってきたのは

非日常を持つことを強制されるのはよいかもということ。

 

断食という非日常を味わうことはしんどいだけではない。

ある日本人ムスリムのブログには、まるでスポーツみたいと書かれていた。

そう、気分は挑戦、チャレンジ。

つらいけど頑張ってみよう、どこまで頑張れるか、という自分との闘い。

 

昨日の男子リレーは残念ながら負けてしまったが

きっと反省や課題が見つかったことでしょう。

挑戦することは、必ずその後に反省や課題、そして希望が生まれる。

何もしなければ何も心動かないが、何かした限りは必ず何かが内に生まれる。

 

宗教という心の根本にあることで決められているイベントは

簡単には無視できない。

だれにもとがめられないまでも半強制気分かも。

完璧に実践できないまでも精一杯のところはしていきたい。 

精一杯でもよいと思えるようになった私は

前より自然にイスラムを信じられるようになった。

これはきっといいこと。

 

ラマダン月は楽しい、非日常が味わえるから。

他の皆さんはどうなんかな。

日本に古くからある行事、たとえば「とんど焼き」。

これなんかも同じ意味でおもしろそう。

火のパワーに照らされ自然に心がざわざわと刺激されるから。

 

ROCK YOU!(おまえを揺さぶってやる)

まさにラマダン月はROCKされる感じ…かな。

神聖なるお恵みの月にそんなふうに思うのはあり?なし?

でもラマダン月はいろいろな人と夕食を共にすることが奨励されることも含めて

おもしろい、うまくできているシステムなんじゃないかと思う。

 

歓迎します!!非日常、ラマダン。