隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

男と女の違いは、国の違いよりも大きい

  

同じ職場に外国人がいる場合、正直なところどんなふうに思っていますか。

 

これに対する答えは、今まではありませんでした。

家族として外国人が身近にいる私なのに、職場の仲間としてはいなかったのです。

それが、あるきっかけでそういう状況にいる人からの思いを聞く機会があり

実は興味津々でその話を聞きました。

幸いにも(?)その人は、私が国際結婚をしているとは知りません。

 

自己主張が強いその外国人に対し「お国柄だよね、やっぱり」とこぼします。

その外国人は、自分の非を認めて自分から謝ることは一度もないそうで。

あらあら、日本人ってその場を丸くおさめるために

心をともなわない「すみません」を平気で口にできるんじゃなかった?

その人も、そういうことをいとわずできるタイプに見えるのに

心の中は平気じゃなかったのね。

 

でもやっぱりそれは、お互いが等分に言い合ってこそ続けられることなのでしょう。

どちらかがいつも謝る側、先に折れる側では、成り立っていかないのでしょう。

 

確かに、もし先に謝られた場合

「こちらこそすみません」と定型どおりのやりとりをしつつ

「次は先にすみませんを言わなくちゃ、それが公平っていうものさ」

なんて考えている自分がいます。

これぞまさに日本人のお国柄なのかな。

 

でも話を聞きながらふと思いました。

先に謝らないのは本当にその人のお国柄?

その外国人は帰化までした人だから、いろいろ必死に変えていると思うけど?

もちろんどんなに頑張っても変わらないものがあることは

主人を見ていてわかってはいますが。

 

私にそんな話をしてくれた人は女性。

彼女の話に出た外国人は男性。

先に謝らないのはお国柄というより性の違いじゃない?

 

残念ながら、古い体質の職場では

やはり男女差別や偏見が残っていると思うのです。

どんなに大事な部門を担っていても

女性はやはり補助的な役割だとされる偏った見方。

時代の変化についていけない人たちはこの見方からなかなか抜け出せないようです。

男性も女性も、それまでの立場が自分にとって居心地がよければ

そのポジションにいつまでもいたいですよね。

 

外国人に対し、不快な思いを自分の中に感じたときにすべきことは

お国柄の違い?それとも性差?それとももともとの性格?という正しい見極め。

ととっ、最近では性差について語るのもかなりの注意が必要でした。

 

これまで数えきれないほどの夫婦喧嘩をしてきました。

そのたびに、このお互いに理解し合えない感じは

お国柄か性差か性格かと必死で真実を探り続けてきました。

で、結論は「お国の違いよりも男女の違いの方がず~っとずっと大きい」です。

共通の言葉がない国の女性でも、目を見ればわかる感じってありますもん。