隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

簡単=低レベル?

 

言葉への意識は子どものときから高く、今も日本語を生業としている私にとって

志村けんさんのギャグやコントは品がなく程度の低いものだと感じていた。

 

国際結婚をし、夫が彼のファンになり、彼の番組をよく見ていたときも

おもしろいのはわかる、確かに笑える、でもなんかバカみたい。

そんなふうに冷めていた。

いっしょに笑いながらももっと上質なもので笑いたいなんて思っていた。

 

そう思って落語にいっしょに行こうと考えたこともある。

でもどんなに日本語がじょうずになっても

落語のおもしろさを理解するまでになるのは年季がいる。

そんな夫にとって志村けんさんのギャグは簡単に笑えるのである。

 

彼の笑いは、体の動きから来るらしい。

そして、そのおもしろい動きはすべて研究し尽くされたものだった。

手の振りの角度、大きさ、ひとつの動きを繰り返す時間の長さなどの数々の練習。

この粘り強く笑いを追求する姿勢は

リーダーであるいかりや長介さんから学んだことだそうだ。

 

 大勢の人を何度も笑わせることができた彼は

まさに笑いのセンス、ひらめきに満ち溢れた人だったのだろうが

それらに加えての努力もきっとあったに違いない。

 

簡単=低レベル、と思っていた。

学校の勉強ではより難しい問題を解ける人の方が頭がいいとされるからだ。

でも、簡単に見せるということは決して簡単ではない。