隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

二人の違いが~差に見えて~♪

 

コマーシャルでこの歌が流れるたびに、つい聞き入ってしまいます。

初めて聞いたときに、違い、、差、、なるほどなぁと感心し

以来、流れるたびについ手が止まります。

そして映像の姉妹の表情に自分たちを重ねたりしています。

 

三人姉妹の真ん中である私は、姉の立場にも妹の立場にもなれるわけですが

なぜだかこれは、姉の立場から見ています。

そして妹のことを思うのです。

妹も、違いを差と思って苦しんだときもあったのかな。

ま、きっと「そんなふうに思ったことないよ」と笑うでしょうが。

 

お互いに大人になって、それぞれが家庭を持ち

夫という他人が加わったことによって一定の距離を置くようになる。

これはたぶんいいこと。

しかし子どもたちがそれぞれ成人し、夫婦の関係も落ち着いてくると

本来の自分に返っていくように思います。

そう、子どもだった頃に。

だからこそ今頃になって聞くこの歌が心に迫ってくるのでしょう。

 

わが娘も三人兄弟の真ん中。

私と違って上下は異性である兄と弟。

その弟をいつも気にしているかのような言動は、はたから見るとちょっとせつない。

弟本人はときにうっとうしがっているからよせばいいのに

気にせずにはいられないという

自分でもすっきりしない思いを抱える姉という立場。

いじらしいと言えなくもない。

でも、冷たくされても全然響いていないところは勝手だとも見えます。

親子間とちがって年齢が近いだけに弟への理解度も高く

「それもありでしょう」とすべてを簡単に許し、また思い続ける。

それだけにしつこいといえるのかも?

 

他人のことは本当のところどうでもいいを地でいくかのようなドライな娘ですが

対・弟だけはドライではいられないようです。

どこかでいつも気にしてる。

  

なんでだろう。

子どもの頃に、子どもだけにしてしまったたくさんの意地悪への罪悪感?

姉の理不尽な言動を疑いもせず信じてくれたことへのお返し?

 

いつも、ただ姉というだけで慕い従ってくれた思い出の中の私の妹は

本当にかわいかったし、いじらしかった。

疑いのない純粋な心。

なんて貴重なものを惜しみなくくれたのでしょう。

 

「いやいや、実は疑ってたよ」と言われたら少しはすっきりするかな。

「でも、それでもやっぱり慕って信じてくれてたでしょ?」

姉の、勝手な思い込みは、かなり強力です。

 

う~ん、面倒な存在かもね。

すみません!