隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

どうでもいいことはどうでもよし!

 

障がい者施設での仕事は大変?

大人なのに子どもみたいな部分を見せる人たちに関わるのは

確かに大変かもしれません。

でも子どもみたいであってもやはり大人だからこその深い思いも感じさせられ

私にとって学びの種は尽きません。

 

まっすぐに自分の思いをぶつけ、考えるよりも先に行動してしまう子ども。

自分に余裕がないだけに、残酷なことを平気でやったり言ったりできる子ども。

そんな子どものような言動をしつつも

長年生きてきたからこその複雑な表情も見せてくれる方たち。

 

日常生活の中

たくさんの役割を持つ大人であれば、ときに割り切りもあきらめもします。

そうしないとまわっていかないからです。

時間は有限、自分の手も二本しかないのですから。

でも障害のある人たちは、たくさんの役割を持たない立場だからか

ひとつの思いには全力でこだわりを見せます。

そしてその思いの強さに、こちらの心も揺さぶられるのです。

感動して涙することもたまにあります。

たったひとつのことに思いを込めることってなんて力強いんだろう。

 

あれもこれもできるから、あれもこれもに時間も気持ちも使ってしまいます。

でも本当に大事なことは実はそんなにたくさんはないんじゃない?

本当に大事なことだけに絞り、それを重ねていくことが楽しいことなんじゃない?

そんなことを思うようになっている私にとっては

障がいのある人たちの物事への向かい方は、お手本のようでもあるのです。

できることが限られた中でこれだけは!と必死にこだわる。

それ以外のことは不要とばかりにばっさり斬る。

その姿勢って見習うべきことじゃないかと思うのです。

 

あれもこれも知ることができ、あれもこれもできる気がしてしまう。

自分にとって関係ないことまで知っておく必要はない。

あれもこれもに手を出す必要はない。

何もかも簡単に手に入り、やれる便利さのある今の時代だからこそ

考えすぎないよう、やりすぎないよう

意識して削っていかなくてはいけません。

油断してそれを怠けていると

情報に振り回され時間を無駄にし、そんなに大事じゃないことに時間を費やし

充実した生活と思い込む勘違いが生じてしまいます。

 

そして、なんとなくいつでも忙しく

他の人のことを丁寧に考える気持ちのゆとりをなくし

相手のスケジュールや気持ちのペースに合わせることができなくなり

いつのまにか大事な人たちと疎遠になり

突如寂しさに襲われる。

 

そんな自分に気がつかせてくれる障がい者施設での仕事。

なかなかやめられそうにありません。