隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

電車の中の静けさは今後・・・

 

外国人に不思議がられる電車の中の静けさ。

昔、東京に行ったときに、ため息さえも響き渡りそうな静けさに驚いた。

今は少し違うのだろうか。

大阪は今も昔もそこまでし~んと静まり返ってはいない。

でも静かだ。

 

しかし最近はそうでもない。

外国からの観光客が乗り込むとがぜんにぎやかになる。

眉をひそめる日本人もいる。

ほほえみを浮かべて眺める人もいる。

観光客はきっとどこでもはしゃぎがちとひとり納得する人もいる(私)。

 

ある程度の期間、滞在する外国人が言う。

〇〇人はうるさいから嫌い。

〇〇人と名指しするのははばかれるが

彼女の場合は、〇〇人=自分の国の人 だから、まぁ笑い話で済まされるかな。

 

先日、友だちとおしゃべりしていたときのこと。

「電車の中でおしゃべりできないのが嫌」

根っからの大阪人である彼女はおしゃべりが大好きだ。

まわりを気にしておしゃべりをひかえるのが苦痛だという。

そんな彼女はきっと日本以外のところに住む方が快適なのかもしれない。

 

国境なんてなくなればいいというのはこんなとき。

その国らしさを侵してはいけない。

お国柄や文化は長い年月をかけて作られてきたものだ。

それを簡単に否定したり、壊してはいけないと思う。

事実、いかにも日本といった日本が好きでやってくる外国人もいるのだから。

 

そういえば、日本が好きな外国人の多くがその国では少数派?と思うことがある。

ブラジル人なのにサッカーが嫌いだったり

アメリカ人なのになんだかおとなしめだったり。

いわゆる私たちの持つイメージとは違う人がやってくるのだ。

蛇足ながら、夫も自分はいわゆる〇〇人とは違うと何度も言う。

ま、それでも十分〇〇人らしさ満開だと日本人である私からは思うが。

 

さて10年後、電車の中の静けさは保たれているのだろうか。