隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

ハーフ会っておもしろそう

 

タイトルの能天気な言葉は、ハーフではない私。

そんな言葉を投げかける私に娘はいう。

「いいわぁ、いらんわぁ、なんかめんどい!」

 

ハーフばかりが集まる場に誘われることはあるらしい。

予定が合ったら行ってもいい程度には思っても、結局ほとんど足を運ばない。

彼女の中での優先順位は低いということだろう。

 

ハーフの人との付き合いを避けているわけではない。

そういう場ではなんかほっとする、とも話していたことがある。

年に一度のキャンプが毎年あった頃は

きっと集まる皆にとって心からくつろげる場所だったのだろうと思う。

そんな場を作りたくて、親である私も必死で連れていった。

 

でも今は「おもしろいかもしれないけど、う~ん、やっぱりいいかな」

つまり、いらんかな、と判断する娘。

頭でっかちに考えすぎず、でもきっぱりと迷いなく判断を下す娘は

私から見ると、とてもたのもしい。

 

母である私には、その理由がわかる気がする。

無所属でいたい、何色と決めつけられたくない、自分は自分でしかない。

ハーフ会で集まることによって、その色がつく。

自分の中のもやもやをはっきりさせたいのだろうけれど

そのもやもやって、永遠になくならない。

答えの出ない問題を抱えながら生きるのは、だれもが同じだ。

その答えを探すのに同じ境遇の人たちと集まりたいという必要性が

娘にはないのだろう。

 

そりゃ、そうだ。

ハーフといっても欧米系かアジア系か、どんな教育で育ったか

正直にいえば、経済的に豊かだったかどうか

その差はときに大きすぎるほどに大きい。

ハーフ会の中でもきっとグループ分けが自然とされる。

小さい日本という社会の中での、さらに狭い社会の中で

マウンティングじみた光景など見たくない。

 

群れるのってね、かえってしんどいよね。

 

これが

外国人である夫よりも、よっぽどお母さんの方が外国人っぽいと子どもたちにいわれる

私の見解だ。

 

こんな思いは子どもの頃からあったな、そういえば。

私は私。

どんな境遇で生活しても、ずーっと変わることなく生きている。