隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

来日して28年での大発見!

 

少し前の俺やったら違ったけど…と嬉しそうに話し始めた夫の話です。

 ほんの少し前までは道で転んだおばあさんに「大丈夫?」と声をかけるだけで

すぐに助けようとしない日本人たちに憤慨していたそうです。

「どうしてすぐに手を出さないんだ!」と。

「でも今はその理由がわかる!」と力説します。

 

彼の説明した理由はこうです。

そのおばあさんはひとり暮らしだから頼るのは自分だけと頑張っているのかも。

そんなおばあさんを簡単に助けたら自信を失わせてしまうかも。

自信がなくなってひとりで外出するのが怖くなって引きこもってしまうかも。

転んでも自分で立ち上がり対処していくことによってまだ頑張れるかも。

だから日本人たちは、まだひとりで頑張りたいのか

本当に助けてほしいくらいの転び方をしたのかを確認するために聞くのだ。

「大丈夫?ひとりで立てる?」と。

 

そうそう、そういうところあるよなぁと彼の話を聞いて思いました。

日本では当たり前の光景で、理由も特に意識していなかったけど。

 

・・・にしても、それを自分で知るのに28年もかかったとは!

そこがなんといっても驚きです。

私の母も遠い地でひとり暮らしをしています。

夫を早くに亡くした姉もひとり暮らしをしています。

そんなこんなを目にし考えたことも

この理解に至るまでの材料になっているのでしょう、きっと。

異国に住むということは、すべての?を胸に抱きながら生きていくことなんですね。

意識したくなくても?が出てくる。

答えを探さずにはいられない種は日々出てくる。

ホントおつかれさま!です。