隣を見たら外国人

異文化への興味は尽きず、今でも街で外国人を見かけるとつい目がいき「あ、外国人だ!」とつぶやいてしまう。でもふと隣をみると当たり前にいるわが外国人夫。ま、こんな夫婦関係でなくても、当たり前に近くに外国人がいる社会もいいかなと思っています。

退院した次の日によく亡くなる?

 

夫からさきほど電話がありました。

「〇〇のお父さんが、今日亡くなったらしい」

「え、そうなん?それはがっかりね」

「それも昨日、病院から退院したとこやったらしいで」

「退院したのに?どうして?」

「それで、私の国ではそういうことよくあるって思い出した」

 

死への受け止め方は、宗教も関係してきます。

神が定めたタイミングで召されていくととらえる主人の国では

送り出す病院側と、受け入れる家族側との間で意見の食い違いはありません。

当たり前の選択として、死期がわかったら退院となるのでしょう。

 

死期は、医療従事者にとってはだいたい予測できるようです。

以前、特養でアルバイトをしていたとき

「明日の午前のうちやな」とつぶやくベテラン看護師の言葉に目を丸くし

実際その通りになったことにさらに驚いたことがあります。

命を終える時には順番通りに狂いなく器官が衰えていくからわかるのだそう。

子宮の中で赤ちゃんの各器官が順番通りに完成されていくのとは逆なのでしょうか。

 

延命治療はしてほしくないと、子どもたちには伝えています。

「わかった、わかった、さっさと(酸素チューブ?)抜いてもらったらいいんやな」

「そ、そうね」

気負って口にした私の言葉を娘にさらっと返され、苦笑いではあったのですが 

今朝の夫の言葉から、さらにもうひとこと伝えておこうと考えました。

「死期がわかった時点でさっさと退院するのが、本人の意思だと病院に伝えてね」と。

 

しかし、ここでひとつ問題があります。

どこに退院するの?

同居が当然である夫の国とは違い、独居が少なくない日本では

退院しても世話する人が誰もいないという現実があります。

 

「生まれるときも死ぬときもひとり」

達観すべきでしょうか、しなくてもいいのでしょうか。

夫の国ではそんなことに頭を悩ませなくてもいいのでしょうね。