女が台になってこそすべてが始まる
樹木希林さんが亡くなりました。
で、いろいろな報道がされる中で心に残った言葉が二つあります。
ひとつは、タイトルにある言葉。
「始まるという字はねぇ、女に台って書くのよ。女がちゃんと踏ん張ってこそすべてが始まる。女がちゃんと踏ん張っていないと大黒柱(男)もゆらゆらしちゃうし、家も建ってない」
確かになぁ。
家を支えているのは俺だ!と表立って頑張っているけれど
それはそれでありがたいことだけど
そのあなたを変わらず見守って
あなたのパワーの原動力である子どもを一生懸命育てているのは私だよ。
そう思いました。
樹木希林さんはまた違った支え方だったんでしょうが。
もうひとつは、夫である内田裕也さんが出したコメント。
「見事な女でした」
亡くなった人を形容するコメントはいろいろあるでしょう。
でもこれはきっと図らずも出た言葉なのかも。
み・ご・と、かぁ。
きっとあっぱれな生き様だったのでしょう。
あっぱれは漢字で「天晴」と書きます。
なんてすがすがしい、堂々とした漢字の組み合わせなんでしょう。
もうひとつ思い出しました。
「彼(夫である内田裕也さん)の前では自分が見えてしまう。それが怖いんですね」
彼の前では自分の未熟さ、弱さ、そしてたぶんずるさなどが出てしまう。
それに気が付かせてくれる人は貴重だと
自分にとってなくてはならない人だと思っていた樹木希林さんも立派です。
きっとそういう人の前でしか甘えられないよね。
甘えられる唯一の人だったのかもしれない。
見事に、天晴に、夫婦であることを貫いた樹木希林さん。
夫婦の意味を改めて見直しました。
感謝です。